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Medapani Blog

メダパニブログ

Caplicoのあたま

「Caplicoのあたま」というお菓子がある。Caplico=カプリコがどんなお菓子であるかという説明はここでは省くが、とにかく「Caplicoのあたま」とは、読んで字の如く、カプリコのあたま部分に当たる、あのエアリーな食感のチョコレートのみを商品として売り出したものである。僕はこれを最近よく食べているのだが、食べながら疑問に思うことがある。「カプリコのあたま」がチョコレートのことを指すならば、「カプリコ」のコーンのことは「カプリコのしり」と表現するべきなのだろうか。そして「カプリコのしり」を「カプリコのあたま」と同じように商品化してしまうと、それはただのコーンを売ることに他ならず、あまり需要はないと思われるし、だからこそ商品化に至っていないのだと想像するが、であればそもそもカプリコ」に「しり」は必要なのだろうか。もしかすると「カプリコ」には「あたま」にしか存在意義がないのではないか。だが、そう考える一方で「カプリコ」とはあのコーンアイスのような形状のお菓子であるからこそ「カプリコ」と呼ぶに相応しいのであるという思いもある。例えば目玉焼きを白身と黄身に分けてしまうと、それはもはや目玉焼きとは呼ばなくなるし、その白身と黄身を別々に口にしても、焼いた白身や焼いた黄身という感想しか生まれず、そこに目玉焼きを食べた感動はない。であれば、それと同じように「カプリコ」を「あたま」と「しり」に分解することで「カプリコのあたま」と「カプリコのしり」としてしまうと、それはもはや僕の知る「カプリコ」ではないのではないか。「カプリコのあたま」は「カプリコ」ではないのではないか。しかし、しかしである。「カプリコのあたま」のふんわりとした食感と、舌に溶けるように馴染むあのチョコレートの甘さは、どう考えてみても「カプリコ」に他ならないのである。

 

カプリコってなんだ…あたまってなんだ…しりってなんだ…

 

おわり

茶番inゲームセンター

最近、気晴らしも兼ねてゲームセンターによく行っている。そこではもっぱらクレーンゲームに興じており、ここ数ヶ月だけでいくつものフィギュアやぬいぐるみを手に入れ、また多くの金額を投じてきた。一番よく行く近所のショッピングモール内のゲーセンからは、そろそろ表彰されても良いくらいである。

 

クレーンゲームをプレイするとき、自分が欲しい景品がクレーンゲーム機内の奥の方に飾られていて、店員さんに頼んで位置を変えてもらわなければならないことがある。このとき当然ながら、自分が欲しい景品を店員さんに伝えなければならないわけだが、僕はここでいつも引っかかることがある。

 

偏見と失礼を承知で言うが「この人は絶対僕と同類だろう」という店員さんがたまにいる。そんなタイプの店員さんに、深夜アニメのキャラのフィギュアを置き換えて欲しいと頼む際、「あの、左から二番目の、灰色の髪のショートカットのやつを出してください」「灰色のショートカット…はいこれですね」というやり取りをするのだが、これがなんだか虚しくなるのである。お互い絶対知ってるはずなのに「自分、アニメあんまり詳しくないです」みたいな態度を気取り牽制し合うあの空気。恥ずかしがらずにキャラ名を出せば、回りくどい説明をしなくて済むのに。なぜオタクは、意味のない探り合いをしてしまうのだろう。深い謎である。

 

おわり

慈悲なき検索予測

大学の先輩と『エロマンガ先生』というアニメが面白いよね、という話になった。正直僕は、この作品がアニメ化されると聞いたとき「タイトル考えた人はバカじゃねえのか、モラルってもんはないのか、モラルってはもんは!」と思ったものだったが、今ではまったく気にもならず、毎週楽しみにしているから不思議なものである。で、何かしら作品についての情報を集めようと、iPhoneSafariで「エロマンガ先生」と検索しようとしたところ、以下の画像のような検索予測が表示された。

 

f:id:misakikun02:20170515193205j:image

 

モラルってもんはないのか、モラルってもんは!

 

おわり

服とは何か

本日はちょっとした用事があり、昨日書いた通りのみすぼらしい服で街に行った。「街に行った」という表現自体がすでに田舎くさいのだが、事実田舎者の僕は、堂々と道を行くオシャレな人々に圧倒されっぱなしであった。服装に清潔感があると顔も良く見えてくる。街の人たちは皆、イケメンか美女であった。僕は道を歩くことが恥ずかしくなり、ショーウィンドウや鏡に自分の姿がチラチラ映るたび、劣等感を募らせた。背中を丸め、下を向いて歩いた。みんなあんなにスタイリッシュなのに、僕ときたら何だろう。着ているみすぼらしいシャツが、ただの薄汚い布のように感じた。僕は今、この布を一枚纏っているからギリギリ外を歩くことを許されているが、これを脱いで裸になってしまえば恐らくそれは犯罪なのだろうな、そう考えると、服というのは綺麗だろうが汚かろうが関係なくて、用は体を隠せていればいいはずなのに、なぜ僕はこんなに羞恥心を覚えてしまうのだろう、とか、そういうことを考えて気を紛らわせた。

 

そうしてようやく用事を終えた帰りの電車で、綺麗なドレスを着た何かのパーティー帰りらしき女性達が、少し騒ぎすぎて、ポロシャツ短パン姿のマッチョマンに注意されていた。僕はそれくらいで怒らなくていいのにと思いつつも、ポロシャツ短パン姿でドレス女子達に立ち向かった彼に敬意を持った。やはり服装は関係ないのだ。僕もマッチョになれば、ここ最近続くこの自信の無さを解消できるかもしれない。

 

おわり

深刻な服不足

太ったこと。最近暑くなってきたこと。それらの影響から、外に着て行ける服が無くなり困っている。今現在の僕は、2枚のビッグシルエットTシャツを毎日交互に運用している。更に都合の悪いことに、2枚の色はほとんど同じなので、おそらく家族や職場の人からは、毎日同じTシャツを着ているかのように思われているはずである。良い大人としてはかなり見すぼらしく情けない。最近に至っては、僕が無様な姿であるがゆえに、一緒に歩いている人にも迷惑を掛けているのではないかと気になってきた。だったら早く服を買うべきなのだが、僕としては日々「明日からダイエットしよう」と考えているため踏ん切りがつかない。今の体型はあくまで一時的なものであり、いわば偽りの僕。今後痩せてサイズが合わなくなったら色々もったいない。絶対痩せた方がメリットが大きい。だから痩せよう。痩せよう、僕。

 

おわり

デブの思考

最近太ってきたのは間違いないのだが、会う人会う人から例外なく指摘され続けるとさすがに心配になってくる。記憶が正しければ、去年の今頃は10キロくらいは痩せていた(が、それでもなお平均体重よりは重かった)。1年で10キロ増はさすがにまずい気がする。そんな不安に駆り立てられ、腕立て伏せと腹筋ローラーを日課とする決意を打ち立てた。初日、小手調べに数回やって、心地よい疲労感が体に残った。大変結構なことだが、それだけでなんだか心身ともに引き締まった気がして満足してしまうから、僕は体型をはじめ色々な部分でダメな人間なのだと思う。翌日は筋肉痛を理由にサボり、翌々日は「超回復の効果を最大限引き出すため念のため休養を取る」だのと、よく知りもしない理論を持ち出して休んだ。で、今日に至るが、今日は今日で雨が降っていて湿度が高く、空気がベタついているので、またパスすることになるだろう。かわりに烏龍茶を飲んで消化作用を増進させるので、それで手打ちとする。

 

おわり

自動写真機の罠

訳あって近所に証明写真を撮りに行った。ボックス型の、お金を入れたら自動で撮ってくれるアレである。その昔、僕が大学生であった頃、就職支援課的な部署の職員から「エントリーシートの証明写真に自動写真機は使うな」「写真屋さんで撮れ」と指導されたことがある。機械だと身なりや表情を客観的にアドバイスしてくれないから写りが悪くなるとか、そういう理由だった。言っていることはわかったが、僕は面倒くさがって機械で撮っていた。そもそも人が撮ったからといってカバーできるような容姿でもない。なので、今日もその例に漏れず機械で撮ったが、なんと撮影の途中で画面の上にスズメバチがとまっているのに気づいてしまった。仮面ライダーザビーのような立派なスズメバチであった。驚いた。身の安全を考えるとボックスから出て別の写真機を探した方が良い気もしたが、しかし撮影料は800円、すでに投入済みである。僕は普段よりぎこちなさ三割り増しの表情をした証明写真を得ることとなった。

 

やはり証明写真は写真屋さんで人に撮って貰った方がいいかもしれない。少なくともそこにスズメバチはいないはずである。

 

おわり