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Medapani Blog

メダパニブログ

新生活の開始

4月に入り新生活が始まりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。僕は親の車をぶつけて借金生活をスタートさせました。保険適用なしで修理費用は約40万円也。この話を聞いた弟の第一声が「ダセェwww」でした。僕もそう思います。何が悲しくて30越えて親の車を乗り回し、あげくの果てにぶつけてるんでしょうか。ダセェ以外の何ものでもございません。

 

不幸中の幸いと言いましょうか、人様を害したり、公共を乱すような事故ではなく、ひっそりと自爆しただけだったのですが、40万円という修理費用から想像できるとおり、結構ボコボコになりました。思わず「うわあ…」と引いてしまうような姿になった車を眺めながら親に電話を入れ「破損状況はスト2のボーナスゲームで何発か殴った感じ」と報告したのですが、まあ当然伝わるわけもなく、親としては「よくわかんないけど数発なら大丈夫でしょ」というような反応でした。帰宅した親に実物を見せた後、僕の顔がYOU LOSEしたベガみたいになったことは言うまでもありません。

 

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※嘘です

 

そもそも僕は根っからの反自動車党でありスーパーペーパードライバーだったのですが、現状からの脱却と来たるべき転職に備え車のひとつでも運転できねばなるまいとその信念を封じ、去年の夏頃から精力的に公道へ繰り出していたのです。近頃ようやく慣れてきたかなという感触を覚えたので、大学時代の先輩に助手席に乗ってもらったところ「今まで事故ってないのが奇跡」との高評価を頂戴し、あ、僕ってやっぱり神に愛されているんだ、と再認識した矢先の事故でした。「君、内輪差に気をつけたまえよ」という先輩の助言を真剣に受け止めておくべきでした。情けない限りです。

 

こうして茶化して書きましたが、車と同じくらいへこんでド反省しました。人身事故とかにならなくて本当によかった。親の車だから少しくらい傷つけても大丈夫だろ、という甘えた潜在意識もあったかもしれません。正直、自分は公道に出るべき人間ではない、という意識がかなり強まっていますが、今後もし運転する機会があれば、決して慣れてきただのとおごることなく、初心を忘れずに運転したいと思います。

 

おわり

不審者は君だ

こないだ電車で僕なりの善意から女子中学生に話しかけたのだが、危うく事案を発生させるところだった。自分よがりの考え方や押し付けの善意は良くないということを身をもって学んだ。僕はもう二度と必要以上に知らない人と関わらないし、何かあったとしても見て見ぬ振りを決め込むこととする。僕みたいな陰キャ野郎が知らない女子中学生に話しかけるなど神が許しても常識が許しはしない。女の子とまともに話す術を知らぬ僕なのだから、たとえ相手が降車駅を判りかねて困っている様子であろうが話しかけるなどもってのほか、車両の隅で気配を殺してじっとおくべきだった。あの日以降、はからずとも不審者としての頭角をあらわせてしまった自分の姿が、脳内に時折フラッシュバックし、そのつど声にならない声が勝手に漏れる。何より恐ろしいのは、女子中学生に話しかけたその瞬間、自分自身を完全なる不審者として俯瞰するような感覚に陥ったことである。ニュースや新聞で毎日のように不審者の出現が報道されているが、僕は彼らをこれまで自分とはかけ離れた世界の住人だと考えていた。部屋に侵入して数カ月にわたり監視カメラを仕掛けていた等のガチでヤバい連中にドン引きするのはもちろん、道行く近所の小学生に挨拶しただけで事案として取り上げられた人に対しても「こんなことで警戒されるなんてかわいそう…」とどこか遠くで起こった他人事のように認識していたのである。しかし、不審者へ覚醒する可能性は何気ない日常に潜んでいた。純然たる善意をきっかけとしていた。決して「かわいそう」との感想だけで済ませてはいけなかったのである。女子中学生に話しかけて気まずそうにスルーされたそのとき、僕は「あっ、人間って簡単に不審者になり得るんだ」「今僕は何かを踏み外しかけたんだ」そう悟った。思い返せば、僕には不審者の素質があった。先日、大学時代の歳の近い先輩にご息女が産まれた。その大変おめでたい報告メールを頂いたとき、僕は平日昼間だというのに万年床から深夜アニメの録画を見てデュフデュフ笑っていたところだったのである。年齢はそう変わらないというのに、片や真っ当な人生を送るお父さん。片や何度も道を踏み外して来たキモオタ。そんな僕に不審者の因子が潜んでいないわけがないことは、数多くの教育評論家やマスコミの方々がいくらでも証明してくれることだろう。僕はこれから、ひたすら下を見ながら人生を歩いて行こう。誰にも迷惑をかけないように。

 

おわり

老いを受け入れる

年が明けてからというもの、どうにも体力面に不調が続いている。仕事の疲れが休日中に回復しきっていないようで、常にどことなく疲労や倦怠感につきまとわれている。そのきっかけは、老いを受け入れ、疲れを自覚するべきだと考え始めたことにある。よくよく思い返してみれば、僕は少し前まで「疲れる」ということについて無頓着だった。周囲の人たちを見たとき、どんよりした雰囲気や苛立った様子を感じて、ああみんな疲れているんだなあと思ったことはあったが、自分が疲れているということに対しては深く考えてこなかった。「最近疲れている」「仕事滅びろ」と口に出したりブログに書いてみたりしても、それはどこか自虐混じりの冗談であって、本気ではなかった。しかし、年が明けてからというもの、僕の意識は改革された。薄汚い鏡にうつった小汚いおっさん(僕)のツラを見たからだ。もう歳も歳だ。もっと自分を労わるべきではないのか。自分は疲れている。きつい。大丈夫じゃない。休みたい。そう考えると、体の底から疲労が湧き上がってきた。これまで自分で自分をごまかし、見て見ぬ振りをしてきた疲れが、僕の全身に広がって浸透した。それ以降、僕は以前より確実に疲れやすくなった。いや、疲れていることを素直に受け入れられるようになったのだ。これを悪いことと捉えるか、良いことと捉えるかは難しいところだ。

 

そんな話を母親にしたところ、自分もそうだと強く同意してくれた。してくれたが、母親が疲労に対して僕と同じように感じ始めたのは60歳を過ぎてかららしい。ですよねー、普通の大人はそうですよね。社会舐めてた。僕は単なる運動不足の体力無しの豚野郎だった。

 

おわり

血のバレンタイン

バレンタインデーを明日に控えた今日この頃、皆さまいかがお過ごしだろうか。僕はもういい歳なので「もしかしたらあの子からチョコ貰えるかも!」とそわそわすることもなく「バレンタインデーとはお菓子会社の陰謀なのだ!」と聞きかじり知識を叫ぶこともなく、数多の新カップル誕生のためすべてのチョコが素晴らしき仲人であらんことを鼻くそほじりながら祈っている。

 

そもそも僕はバレンタインデーで美味しい思いをしたことが恋愛的にも味覚的にもない。友達が少ないのでよくわからないが、人間普通に生きていれば義理なり本命なり一度はバレンタインデーにまつわる甘酸っぱいメモリーがあるものなのではなかろうか。僕はねえよ。まったくねえよ。なさすぎて「実はクラス中の女の子全員僕のことが好きで、女子間で戦争になるのを回避するため僕にはチョコを渡さない協定が結ばれているのではないか?」との仮説を打ち立て、半ば本気で信じ込んでいたほどである。

 

そんなバレンタインと縁遠き僕にとって、この時期はコンビニなりスーパーなりでおやつのチョコ買うことに多少の抵抗が生まれる。どうせ店員さん各位から「こいつチョコ貰えないから自分で買ってんだな…」と思われているに違いないからである。レジに出しているのはチョコなのに、なぜかエロ本でも会計されているかのような羞恥心を覚える。

 

で、本日そのような辱めを受けながらチョコを買ったのだが、そのチョコは『聖闘士星矢マンチョコ』という『ビックリマンチョコ』の亜種である。ウエハースと一緒にシールが一枚入っており、そのイラストが『聖闘士星矢』であるというのだから欲しくなるのも仕方ない。この僕も試しに3パックほど購入してきた。最近疲れてるし、自分への労いも込めてカッコいいシールが当たるといいな、バレンタインだしな…と開封した結果が以下の通り。

 

 

 

 

 

 

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ハッピーバレンタイン…

 

おわり

あけまして

あけましておめでとうございます。毎日更新から不定期更新に減らして以降、アクセス数はガンガン下がり、日にゼロ件ということも珍しくない当ブログですが、読んでくれている方いらっしゃいましたら、今年もよろしくお願いします。

 

極めてどうでもいい話ですが、僕の年末年始は特別なイベントも休みも何もなく、この上ない平常運転でした。年末ジャンボは無事に外れましたし、年越しはくそ散らかった部屋で爆睡してたら終わっていました。あと、正月手当的なものもありませんでした。今年もわずかばかりの労働を対価に日銭を稼ぎ、口を糊していきたいです。

 

しいて例年と変わったことを挙げるとすれば、ショッピングモールのトイレにて、待ちに待ってようやく個室に入れたかと思いきや「すみません、子供が漏れそうなんです」と若いお父さんからドアをドンドンされたことです。僕はズボンすら降ろさずにそこから出ましたよ。なんなのかな??子供だからなんなのかな??子供とおっさんとどっちがウ〇コ漏らした方がヤバイか分かるでしょ??おっさんですよ!!(絶望による錯乱)

正月から働き詰めの底辺非正規労働者といえど、排泄を脅かされない権利くらいあっていいのではないでしょうか。今年はこの辺の訴えにチカラを入れていきたいです。

 

他に何か挙げるとすれば、2016年秋から放送されていた『ブレイブウィッチーズ』の最終回がすごく良かったです。正直に言いますけど、俺は泣きましたよ。三十路の男が薄暗い部屋で咽び泣きましたよ。なんかもう「俺、疲れてるのかな…」って脳の片隅が冷静になるくらい泣きました。何しろオープニング映像観てる時点で勝手に涙流れてましたからね。完全に疲れてますね。

 

 じゃあ去年は『ブレイブウィッチーズ』に激ハマりしたのかというと、特にそういうわけでもないです。キャラクターの名前もほとんど覚えてないですし、白状すると、前作に当たる『ストライクウィッチーズ』も未視聴です。それでもなぜか最終回はボロ泣きしてしまいまして、どれもこれも疲労のせい…ではなく、主人公たる雁淵ひかりちゃんの魅力のせいでしょう。

 

僕はもともと捻くれた人間ですが、去年は(主に仕事関係で)色々あったせいか、ひねり揚げにもう6ツイストかけたくらい捻くれてしまったので、ひかりちゃんのような純粋無垢で直向きな主人公が眩しい眩しい。あとひかりちゃんを演じている声優さんの声が妙に好きで、両親に「どうして僕の名前をももくんにしなかったのか」と詰め寄るレベル。今年はひかりちゃんを見習って少しでもかつての素直さを取り戻していきたいと思います。

 

…三十路のおっさんが正月から何を言っているんだろう。

 

おわり

無気力

部屋が汚い。すごく散らかっている。ここ二、三ヶ月くらい片付けをしていないし、パンパンに膨れ上がったゴミ袋がいくつも転がっている。最後に掃除機をかけたのもいつか分からない。「なぜこんな惨状に」と自問してみても、これといって明確な答えは見つからないのだが、とにかく無気力で何をする気にもならないことだけは確かである。少し前にもやたらと部屋を散らかしていた時期があったが、そのときはれっきとした理由に基づいて意図的に散らかしていた。当時、西村賢太の小説を何冊か読んだ僕は、その主人公の姿に大変な憧れを抱いた。退廃した部屋で刹那的な生活を送り、負の感情や反骨精神を糧とする彼の生き様は、まさにクズ界の星であった。僕も退廃的な部屋に住まねばと思った。その結果、酒の瓶を床に転がしてみたり、無造作に本を積み上げてみたりして、退廃した環境を空調の効いた実家内に構築するに至った。1日3食とライフラインはしっかり確保しつつ、ぬくぬくした退廃的ライフごっこを満喫したのである。まさにクズ界のクズ。

 

で、話を近況に戻す。思えば最近、朝起きてもまったく体を動かす気にならないし、出勤にしても出発時間のギリギリか、ちょっとオーバーしたくらいになってようやくノロノロと家を出られるくらい。はっきり言ってこんなことをブログに書いてもどうしようもないことはわかっているのだが、それでも書いてしまうのはおそらく他に吐き出せる場がごくごく限られているからに違いない。職場(バイト先と言った方が正しいが)の先輩も揃ってあてにならず、先日持ちかけた相談にしても、非人道的かつ殺人的なシフト(時給制)について「これはさすがに体が持ちませんよね」と訴えた僕に対し、先輩は「いっぱい稼げていいじゃん」などとんでもない答えを返してきた。何言ってんだこいつ。別口で相談した先輩にしても「チッ、俺より稼ぎやがって、殺すぞ」との不穏な言を吐きかけてくる始末。怖すぎ。まあもっとも、その先輩たちは、通退勤の電車に乗っている時間が休日代わりだとか言い出す連中なので、理解の範疇を超えているのである。意味不明。社畜ここに極まれり。おそらく怠惰を愛する僕の価値観とは一生相容れないと思う。

 

そうこうした日頃のストレスに精神を蝕まれ、僕は無気力になっているのである。擦りむいてジュクジュクしている傷口は少し触れただけでも痛むものだが、最近の僕の心も似たようなもので、ちょっとしたことでも過敏に刺激を察知し、多大なストレスになったりもする。たとえばコンビニで冷たいペットボトル飲料を買ったときに「シールで良いですか?」と聞いてくる店員さんがいるのだが、昨今のくそ寒い気温事情において、冷たいペットボトルを素手で持ち歩きたい人間がいると思っているのだろうか。そのままカバンに入れたって水滴で中のものが濡れてしまうし、どうしてシールで良いと思うのか甚だ疑問である。いや、そりゃエコとかコストのことを考えたらペットボトルひとつにビニール袋を用意するのは良くないことなのかもしれない。しかし、寒い寒い深夜2時頃、職場に隕石が降ってくることを切に願いながらトボトボ帰路につき、その途中でふらりとコンビニに寄る僕の心には、エコとかコストのことを考える余裕などないのである。ていうかそもそも気温一桁の深夜に何で冷たいペットボトル買ってるんだ僕もさ。

 

はあ、異世界に転生して無双したい。

 

おわり

先週の今頃は

「先週の今頃は〇〇してたなあ…」と、楽しかった過去に思いを馳せることは誰にでもありますけども、それにしてたって、なぜ今と対比するような形で過去を思い出してしまうのかというと、それは目の前の今がつまらなかったりストレスになっていたりするからに他なりません。特に、仕事をしながら「先週の今頃は楽しく遊んでたのになあ」とか考えた日には、とても憂鬱な気分になりますよね。そのせいもあるのかわかりませんが、最近「はよ帰りたい」が口癖になってきてまして、職場でうっかりこぼしそうになることがままあります。気をつけなくてはいけません。あれは小学校5年の頃でしたか。僕は担任の先生が嫌いで嫌いで仕方なく、毎日嫌々学校に通っておりました。そのときもストレスのせいか「はよ帰りたい」が口癖みたいになってまして、まあ阿保なので言ってしまったわけですよ、授業中に、一番前の席で、先生に聞こえるくらいの大きさの声で、はよ帰りたいって。そしたら先生はぴたりと授業を止めて僕の方をにらみ「じゃあ帰れば?」って言うんですね。すごく冷たい目と声で、まあ僕も子供の頃から性根がビビりなので、何も取り繕うこともできずに下を向くしかないわけです。先生はそんな僕に「帰れば?」「帰ればいいじゃん」「ねえ、ほら早く帰りな?」とか責め立てて、最終的に僕の片腕を引っ張るようにして無理やり席を立たせて「ほら岬くんが帰るよー、みんなさよならはー?」とか言いながらランドセルと一緒に廊下に出したんですよ。うわー怖いなー。小学校の先生怖いなー。思い返してみると大人気ないですよねこれは。もし今、職場で「はよ帰りたい」とかうっかり言ってしまっても、さすがにここまでは……いや、ありえるわ。

 

そんなわけで、自室で寝転がっていても「はよ帰りたい」と無意識につぶやいている僕ですが、最近あった一番大きなイベントは、大学時代の先輩の結婚式にお呼ばれしたことです。いやー、先輩おめでとうございます。と、全然関係ないこの場で人知れずお祝いの言葉を述べさせて頂きます。結婚された先輩は大学に入学したその日くらいからほとんど毎日顔を合わせてお世話になった方で、そのせいかお互いまだまだ学生気分な関係だと勝手に思っていたので、なんだか不思議な感じです。「あ、人間って大人になるんだな…」という当たり前のことを実感してしまいました。僕はまだまだ精神的トイザらスキッズ。

 

とはいえ、学生時代の友人というのは、社会的な立場や利害関係から一番遠い関係性を保てる存在だと思います。出世して、結婚して、やがて子供もできて、肩書きを持ったり、家庭を作ったりしていくと、どうしても社会的な自分を演じなくてはならない時間が増えてきます。それは課長とか部長とか、父親とか、そういう役割だと思うんですけど、そうすると少なからず素の自分を抑えて我慢しなければならなくなる場面が増えて、ストレスなり疲労なり溜まることになります。そんなとき、責任からも義務からも解放され、何の我慢もせずに昔の自分に戻って触れ合える関係というのが、学生時代の友人ではないでしょうか。先輩、疲れたとき僕たちはいつでも歓迎しますよ。プレッシャーを気にせずに、ぼちぼちで良いのでがんばってくださいね。以上、正社員経験・結婚経験のない僕より。

 

おわり