Medapani Blog

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不審者は君だ

こないだ電車で僕なりの善意から女子中学生に話しかけたのだが、危うく事案を発生させるところだった。自分よがりの考え方や押し付けの善意は良くないということを身をもって学んだ。僕はもう二度と必要以上に知らない人と関わらないし、何かあったとしても見て見ぬ振りを決め込むこととする。僕みたいな陰キャ野郎が知らない女子中学生に話しかけるなど神が許しても常識が許しはしない。女の子とまともに話す術を知らぬ僕なのだから、たとえ相手が降車駅を判りかねて困っている様子であろうが話しかけるなどもってのほか、車両の隅で気配を殺してじっとおくべきだった。あの日以降、はからずとも不審者としての頭角をあらわせてしまった自分の姿が、脳内に時折フラッシュバックし、そのつど声にならない声が勝手に漏れる。何より恐ろしいのは、女子中学生に話しかけたその瞬間、自分自身を完全なる不審者として俯瞰するような感覚に陥ったことである。ニュースや新聞で毎日のように不審者の出現が報道されているが、僕は彼らをこれまで自分とはかけ離れた世界の住人だと考えていた。部屋に侵入して数カ月にわたり監視カメラを仕掛けていた等のガチでヤバい連中にドン引きするのはもちろん、道行く近所の小学生に挨拶しただけで事案として取り上げられた人に対しても「こんなことで警戒されるなんてかわいそう…」とどこか遠くで起こった他人事のように認識していたのである。しかし、不審者へ覚醒する可能性は何気ない日常に潜んでいた。純然たる善意をきっかけとしていた。決して「かわいそう」との感想だけで済ませてはいけなかったのである。女子中学生に話しかけて気まずそうにスルーされたそのとき、僕は「あっ、人間って簡単に不審者になり得るんだ」「今僕は何かを踏み外しかけたんだ」そう悟った。思い返せば、僕には不審者の素質があった。先日、大学時代の歳の近い先輩にご息女が産まれた。その大変おめでたい報告メールを頂いたとき、僕は平日昼間だというのに万年床から深夜アニメの録画を見てデュフデュフ笑っていたところだったのである。年齢はそう変わらないというのに、片や真っ当な人生を送るお父さん。片や何度も道を踏み外して来たキモオタ。そんな僕に不審者の因子が潜んでいないわけがないことは、数多くの教育評論家やマスコミの方々がいくらでも証明してくれることだろう。僕はこれから、ひたすら下を見ながら人生を歩いて行こう。誰にも迷惑をかけないように。

 

おわり

老いを受け入れる

年が明けてからというもの、どうにも体力面に不調が続いている。仕事の疲れが休日中に回復しきっていないようで、常にどことなく疲労や倦怠感につきまとわれている。そのきっかけは、老いを受け入れ、疲れを自覚するべきだと考え始めたことにある。よくよく思い返してみれば、僕は少し前まで「疲れる」ということについて無頓着だった。周囲の人たちを見たとき、どんよりした雰囲気や苛立った様子を感じて、ああみんな疲れているんだなあと思ったことはあったが、自分が疲れているということに対しては深く考えてこなかった。「最近疲れている」「仕事滅びろ」と口に出したりブログに書いてみたりしても、それはどこか自虐混じりの冗談であって、本気ではなかった。しかし、年が明けてからというもの、僕の意識は改革された。薄汚い鏡にうつった小汚いおっさん(僕)のツラを見たからだ。もう歳も歳だ。もっと自分を労わるべきではないのか。自分は疲れている。きつい。大丈夫じゃない。休みたい。そう考えると、体の底から疲労が湧き上がってきた。これまで自分で自分をごまかし、見て見ぬ振りをしてきた疲れが、僕の全身に広がって浸透した。それ以降、僕は以前より確実に疲れやすくなった。いや、疲れていることを素直に受け入れられるようになったのだ。これを悪いことと捉えるか、良いことと捉えるかは難しいところだ。

 

そんな話を母親にしたところ、自分もそうだと強く同意してくれた。してくれたが、母親が疲労に対して僕と同じように感じ始めたのは60歳を過ぎてかららしい。ですよねー、普通の大人はそうですよね。社会舐めてた。僕は単なる運動不足の体力無しの豚野郎だった。

 

おわり

血のバレンタイン

バレンタインデーを明日に控えた今日この頃、皆さまいかがお過ごしだろうか。僕はもういい歳なので「もしかしたらあの子からチョコ貰えるかも!」とそわそわすることもなく「バレンタインデーとはお菓子会社の陰謀なのだ!」と聞きかじり知識を叫ぶこともなく、数多の新カップル誕生のためすべてのチョコが素晴らしき仲人であらんことを鼻くそほじりながら祈っている。

 

そもそも僕はバレンタインデーで美味しい思いをしたことが恋愛的にも味覚的にもない。友達が少ないのでよくわからないが、人間普通に生きていれば義理なり本命なり一度はバレンタインデーにまつわる甘酸っぱいメモリーがあるものなのではなかろうか。僕はねえよ。まったくねえよ。なさすぎて「実はクラス中の女の子全員僕のことが好きで、女子間で戦争になるのを回避するため僕にはチョコを渡さない協定が結ばれているのではないか?」との仮説を打ち立て、半ば本気で信じ込んでいたほどである。

 

そんなバレンタインと縁遠き僕にとって、この時期はコンビニなりスーパーなりでおやつのチョコ買うことに多少の抵抗が生まれる。どうせ店員さん各位から「こいつチョコ貰えないから自分で買ってんだな…」と思われているに違いないからである。レジに出しているのはチョコなのに、なぜかエロ本でも会計されているかのような羞恥心を覚える。

 

で、本日そのような辱めを受けながらチョコを買ったのだが、そのチョコは『聖闘士星矢マンチョコ』という『ビックリマンチョコ』の亜種である。ウエハースと一緒にシールが一枚入っており、そのイラストが『聖闘士星矢』であるというのだから欲しくなるのも仕方ない。この僕も試しに3パックほど購入してきた。最近疲れてるし、自分への労いも込めてカッコいいシールが当たるといいな、バレンタインだしな…と開封した結果が以下の通り。

 

 

 

 

 

 

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ハッピーバレンタイン…

 

おわり

あけまして

あけましておめでとうございます。毎日更新から不定期更新に減らして以降、アクセス数はガンガン下がり、日にゼロ件ということも珍しくない当ブログですが、読んでくれている方いらっしゃいましたら、今年もよろしくお願いします。

 

極めてどうでもいい話ですが、僕の年末年始は特別なイベントも休みも何もなく、この上ない平常運転でした。年末ジャンボは無事に外れましたし、年越しはくそ散らかった部屋で爆睡してたら終わっていました。あと、正月手当的なものもありませんでした。今年もわずかばかりの労働を対価に日銭を稼ぎ、口を糊していきたいです。

 

しいて例年と変わったことを挙げるとすれば、ショッピングモールのトイレにて、待ちに待ってようやく個室に入れたかと思いきや「すみません、子供が漏れそうなんです」と若いお父さんからドアをドンドンされたことです。僕はズボンすら降ろさずにそこから出ましたよ。なんなのかな??子供だからなんなのかな??子供とおっさんとどっちがウ〇コ漏らした方がヤバイか分かるでしょ??おっさんですよ!!(絶望による錯乱)

正月から働き詰めの底辺非正規労働者といえど、排泄を脅かされない権利くらいあっていいのではないでしょうか。今年はこの辺の訴えにチカラを入れていきたいです。

 

他に何か挙げるとすれば、2016年秋から放送されていた『ブレイブウィッチーズ』の最終回がすごく良かったです。正直に言いますけど、俺は泣きましたよ。三十路の男が薄暗い部屋で咽び泣きましたよ。なんかもう「俺、疲れてるのかな…」って脳の片隅が冷静になるくらい泣きました。何しろオープニング映像観てる時点で勝手に涙流れてましたからね。完全に疲れてますね。

 

 じゃあ去年は『ブレイブウィッチーズ』に激ハマりしたのかというと、特にそういうわけでもないです。キャラクターの名前もほとんど覚えてないですし、白状すると、前作に当たる『ストライクウィッチーズ』も未視聴です。それでもなぜか最終回はボロ泣きしてしまいまして、どれもこれも疲労のせい…ではなく、主人公たる雁淵ひかりちゃんの魅力のせいでしょう。

 

僕はもともと捻くれた人間ですが、去年は(主に仕事関係で)色々あったせいか、ひねり揚げにもう6ツイストかけたくらい捻くれてしまったので、ひかりちゃんのような純粋無垢で直向きな主人公が眩しい眩しい。あとひかりちゃんを演じている声優さんの声が妙に好きで、両親に「どうして僕の名前をももくんにしなかったのか」と詰め寄るレベル。今年はひかりちゃんを見習って少しでもかつての素直さを取り戻していきたいと思います。

 

…三十路のおっさんが正月から何を言っているんだろう。

 

おわり

無気力

部屋が汚い。すごく散らかっている。ここ二、三ヶ月くらい片付けをしていないし、パンパンに膨れ上がったゴミ袋がいくつも転がっている。最後に掃除機をかけたのもいつか分からない。「なぜこんな惨状に」と自問してみても、これといって明確な答えは見つからないのだが、とにかく無気力で何をする気にもならないことだけは確かである。少し前にもやたらと部屋を散らかしていた時期があったが、そのときはれっきとした理由に基づいて意図的に散らかしていた。当時、西村賢太の小説を何冊か読んだ僕は、その主人公の姿に大変な憧れを抱いた。退廃した部屋で刹那的な生活を送り、負の感情や反骨精神を糧とする彼の生き様は、まさにクズ界の星であった。僕も退廃的な部屋に住まねばと思った。その結果、酒の瓶を床に転がしてみたり、無造作に本を積み上げてみたりして、退廃した環境を空調の効いた実家内に構築するに至った。1日3食とライフラインはしっかり確保しつつ、ぬくぬくした退廃的ライフごっこを満喫したのである。まさにクズ界のクズ。

 

で、話を近況に戻す。思えば最近、朝起きてもまったく体を動かす気にならないし、出勤にしても出発時間のギリギリか、ちょっとオーバーしたくらいになってようやくノロノロと家を出られるくらい。はっきり言ってこんなことをブログに書いてもどうしようもないことはわかっているのだが、それでも書いてしまうのはおそらく他に吐き出せる場がごくごく限られているからに違いない。職場(バイト先と言った方が正しいが)の先輩も揃ってあてにならず、先日持ちかけた相談にしても、非人道的かつ殺人的なシフト(時給制)について「これはさすがに体が持ちませんよね」と訴えた僕に対し、先輩は「いっぱい稼げていいじゃん」などとんでもない答えを返してきた。何言ってんだこいつ。別口で相談した先輩にしても「チッ、俺より稼ぎやがって、殺すぞ」との不穏な言を吐きかけてくる始末。怖すぎ。まあもっとも、その先輩たちは、通退勤の電車に乗っている時間が休日代わりだとか言い出す連中なので、理解の範疇を超えているのである。意味不明。社畜ここに極まれり。おそらく怠惰を愛する僕の価値観とは一生相容れないと思う。

 

そうこうした日頃のストレスに精神を蝕まれ、僕は無気力になっているのである。擦りむいてジュクジュクしている傷口は少し触れただけでも痛むものだが、最近の僕の心も似たようなもので、ちょっとしたことでも過敏に刺激を察知し、多大なストレスになったりもする。たとえばコンビニで冷たいペットボトル飲料を買ったときに「シールで良いですか?」と聞いてくる店員さんがいるのだが、昨今のくそ寒い気温事情において、冷たいペットボトルを素手で持ち歩きたい人間がいると思っているのだろうか。そのままカバンに入れたって水滴で中のものが濡れてしまうし、どうしてシールで良いと思うのか甚だ疑問である。いや、そりゃエコとかコストのことを考えたらペットボトルひとつにビニール袋を用意するのは良くないことなのかもしれない。しかし、寒い寒い深夜2時頃、職場に隕石が降ってくることを切に願いながらトボトボ帰路につき、その途中でふらりとコンビニに寄る僕の心には、エコとかコストのことを考える余裕などないのである。ていうかそもそも気温一桁の深夜に何で冷たいペットボトル買ってるんだ僕もさ。

 

はあ、異世界に転生して無双したい。

 

おわり

先週の今頃は

「先週の今頃は〇〇してたなあ…」と、楽しかった過去に思いを馳せることは誰にでもありますけども、それにしてたって、なぜ今と対比するような形で過去を思い出してしまうのかというと、それは目の前の今がつまらなかったりストレスになっていたりするからに他なりません。特に、仕事をしながら「先週の今頃は楽しく遊んでたのになあ」とか考えた日には、とても憂鬱な気分になりますよね。そのせいもあるのかわかりませんが、最近「はよ帰りたい」が口癖になってきてまして、職場でうっかりこぼしそうになることがままあります。気をつけなくてはいけません。あれは小学校5年の頃でしたか。僕は担任の先生が嫌いで嫌いで仕方なく、毎日嫌々学校に通っておりました。そのときもストレスのせいか「はよ帰りたい」が口癖みたいになってまして、まあ阿保なので言ってしまったわけですよ、授業中に、一番前の席で、先生に聞こえるくらいの大きさの声で、はよ帰りたいって。そしたら先生はぴたりと授業を止めて僕の方をにらみ「じゃあ帰れば?」って言うんですね。すごく冷たい目と声で、まあ僕も子供の頃から性根がビビりなので、何も取り繕うこともできずに下を向くしかないわけです。先生はそんな僕に「帰れば?」「帰ればいいじゃん」「ねえ、ほら早く帰りな?」とか責め立てて、最終的に僕の片腕を引っ張るようにして無理やり席を立たせて「ほら岬くんが帰るよー、みんなさよならはー?」とか言いながらランドセルと一緒に廊下に出したんですよ。うわー怖いなー。小学校の先生怖いなー。思い返してみると大人気ないですよねこれは。もし今、職場で「はよ帰りたい」とかうっかり言ってしまっても、さすがにここまでは……いや、ありえるわ。

 

そんなわけで、自室で寝転がっていても「はよ帰りたい」と無意識につぶやいている僕ですが、最近あった一番大きなイベントは、大学時代の先輩の結婚式にお呼ばれしたことです。いやー、先輩おめでとうございます。と、全然関係ないこの場で人知れずお祝いの言葉を述べさせて頂きます。結婚された先輩は大学に入学したその日くらいからほとんど毎日顔を合わせてお世話になった方で、そのせいかお互いまだまだ学生気分な関係だと勝手に思っていたので、なんだか不思議な感じです。「あ、人間って大人になるんだな…」という当たり前のことを実感してしまいました。僕はまだまだ精神的トイザらスキッズ。

 

とはいえ、学生時代の友人というのは、社会的な立場や利害関係から一番遠い関係性を保てる存在だと思います。出世して、結婚して、やがて子供もできて、肩書きを持ったり、家庭を作ったりしていくと、どうしても社会的な自分を演じなくてはならない時間が増えてきます。それは課長とか部長とか、父親とか、そういう役割だと思うんですけど、そうすると少なからず素の自分を抑えて我慢しなければならなくなる場面が増えて、ストレスなり疲労なり溜まることになります。そんなとき、責任からも義務からも解放され、何の我慢もせずに昔の自分に戻って触れ合える関係というのが、学生時代の友人ではないでしょうか。先輩、疲れたとき僕たちはいつでも歓迎しますよ。プレッシャーを気にせずに、ぼちぼちで良いのでがんばってくださいね。以上、正社員経験・結婚経験のない僕より。

 

おわり

老い

最近「歳をとったな」と感じたことといえば、トイレで小用を足すために男性器を取り出そうとした際「よいしょっと」という声を無意識に出したことだ。僕は自分がおしっこをするためだけに掛け声を出したという事実に驚愕し、さらに、用を終えたあとどことなく息切れに近い状態にあることに気づいて戦慄した。高校生の頃、出先のトイレで小用便器の前に立っていた際、隣で用を足していた中年男性が苦しそうに喘ぎ声のようなものを上げていたことを思い出す。そのとき僕は、どうしてこんなに苦しそうにおしっこをするのだろう、という純粋な疑問を抱いたものだったが、歳を重ねた今うっすらとその理由がわかりはじめた。おしっこを捻り出すにも体力が必要で、その体力にすら困るほどの状態に今僕はあるのだ。

 

思えばロコツにお腹が出てきた。平常時のベルト穴が2つくらい広がった。前だけではなく横からも贅肉がはみ出てズボンに乗っている。先日行った散髪屋で鏡を見たときにもショックを受けた。顔がパンパン。どれもこれも運動不足がたたった結果である。春先には体重が5キロ減ったなどと喜んでいたが、そんな貯金はとっくに使い果たしてしまい、新たな借金をこさえてしまった。最近体重をはかってないが、自分の体のことは自分が一番よくわかっている。現状の僕は明らかに運動不足で明らかにデブである。おしっこを捻り出すのに掛け声を出し、息切れをするデブ野郎である。

 

 もう歳も歳だ。食べた分だけ確実に太っていく。ここ数年はそこそこ平均的な成人男性の体型を維持できていたが、少し気合いをいれなければ取り戻せそうにない。体調もあまり良くなくて、風邪っぽくてつらい。半年くらい前に大風邪をひいて高熱を出したばかりなのに。若かりし頃は熱など2〜3年に一度出すかどうかくらいのものだった。免疫力的なやつも確実に衰えているに違いない。このつらさから逃れるにはどうすればよいのかとドラッグストアを彷徨い、鼻の通りがよくなるシールなるものを見つけた。鼻筋に貼るだけでいいらしい。価格は1000円。僕はその商品に底知れぬ怪しさを感じ、売り場の前でしばし悩んだが、この鼻詰まりが解消されるのならばと1000円を差し出した。今そのシールを鼻筋に貼っているが、効果があるのかはよくわからない。よくわからない上、絆創膏みたいなそのシールは、鼻筋に貼ることにより、80年代の熱血アニメ主人公の少年みたいなやんちゃキッズな印象を生み出している。僕は男性器を取り出すのに掛け声を出し、おしっこをして息切れをするおっさんだ。絆創膏を鼻筋に貼って冒険するのは色んな意味で痛すぎる。

 

とりあえず規則正しいバランスの良い食生活を心がけたい。そうすれば少しは贅肉も落ちるだろうし、風邪もひきにくくなることだろう。若さとはいつまでも続くものではないのだ。甘えてはいけない。そう自分に言い聞かせながら、僕は仕事帰りに堅あげポテトはちみつバター味を買っていました。本当に無意識に買っていて自分が怖い。せめてこれを常に目の届くところに置き、今後誘惑と戦う足がかりとしよう。

 

おわり