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Medapani Blog

メダパニブログ

妄想適齢期の話

公園のそばを歩いていたらボールが転がってきた。拾い上げ、追いかけてきた子供に渡してやると、その子は元気よくお礼を言った。「ありがとう、おにいちゃん!」僕は哀愁漂う微笑みを浮かべ「バカ、おじさんでいいよ…」と返した、という妄想を近所の公園のそばを通る度にするのである。そのシチュエーションの直前に「私たち、もう子供じゃないんだよ!  大人になってよ!」と彼女に泣かれていたらなお良い。ぜひいつか実現させたいと思うがなかなか機会がないのである。近所の公園は人気がなく、子供とボールどころか犬のフンと犯罪のにおいしかしないし、冷静に考えると彼女などいない。おまけに、年齢的にこの妄想における適齢期を逃そうとしている。

この妄想における適齢期とは「年齢はおじさんと言って差し支えないけどギリギリおにいちゃんに見えなくもない範囲」と定義される。子供から見た僕の年齢は間違いなくおじさんである(かつて『勇者王ガオガイガー』というアニメにて、小学3年生の子供におじさんと呼ばれた20歳の主人公がいたため、子供から見た20歳以上はおじさんで間違いないと思われる)ので、この点はまずクリアしている。次に、おにいちゃんに見えなくもないかどうか、という点であるが、僕はあらゆる社会的責任と重圧から逃げ回り、決して短くない無職期間中にはからずとも英気を蓄えた経験があるためか、同年代より歳下に見られることがある。もっとも、若いというよりは顔にしまりがないというか間抜けというか威厳がないというかヘラヘラしてるというか甘ったれというか世の中舐めてそうというか、まあそんな感じである。そのため、慧眼のお子様諸氏においては英断を持って僕をおにいちゃんと呼んでくれるやもしれない。よって、この点をクリアしているとの見通しも過信ではない。総合すれば、僕は現在当該妄想において適齢期を迎えているので、今が妄想を実現するチャンスなのである。

しかし、結婚適齢期を迎えても結婚できない方が数多くいらっしゃるように、適齢期というのはそれのみで効力を発揮するものではない。あくまで「ちょうどいい時期」でしかないのである。妄想を実現するにあたっての問題は、近所の寂れた公園にボールを持った子供を呼び込まねばならないこと。加えて、妄想内にあるこの上なく痛いやりとりを僕が恥じらいもなく実行できるかどうか。これは僕のみに限らないと思うが、頭の中で爽やかかつ美化したやりとりをイメージする人に限って実際は思うようにいかないものである。ただでさえ人と話すのにおどおどして最悪奇行に走る癖のある僕にできる所業であろうか。

また、元も子もないことを言えば一番のネックがこの妄想を実現したところで一体全体誰が何の得をするのかという話で、ボールを拾ってもらった子供には気味悪がられるだけだし、僕としても何かしら自尊心が満たされるのか?と自問すると別に何も満たされやしないし、むしろやってしまったあとの気恥ずかしさの方が恐ろしい気がするのである。絶対やらない方がいい。であればここまで費やした時間は何なのかクソ野郎というと、単なる暇潰しと日記という日課の消化なのであった。


以上、妄想と旅行は計画を立てているときが一番楽しいという結論で。

おわり