Medapani Blog

メダパニブログ

ギャンブルに手を出すなの話

ギャンブルの趣味はないが今後も絶対に手を出してはいけない男、それが僕である。競馬も競艇も競輪も株もFXも麻雀もパチンコもスロットもポーカーもブラックジャックもルーレットもやったことはない。強いて挙げるなら銀行のATMでロト6を買ったことくらいである(ちなみに夢に出てきた数字を買って1度だけ1000円当たったので僕には予知能力があると思われる)。なぜギャンブルをやらないのかというと第一に運が悪いから。第二に賭場には怖い人がいるイメージがあって近づきたくないから。しかし最近それらよりも強く抱いているのが、僕がギャンブルに手を出した暁には最早抜け出すことなどかなわない永遠の沼にハマり続けてしまうのではないかという不安である。

その根拠がなんであるかというと、ギャンブルとまでいかずとも何らかの「運」が絡む物に手を出したときに引っ込みがつかなくなる僕の性格である。わかりやすい具体例を出すと、ソーシャルゲームのガチャであったり、ゲームセンターのクレーンゲームであったり、ガシャポンカプセルトイ。それらにお金を入れる際、僕の脳内は「次は当たるかも」「ここで諦めたら今まで使ったお金が無駄になる」そして「根拠はないがなんかイケそうな気がする、だって俺だし」というダメ人間にありがちな思考に支配されている。この思考こそが僕の抱く不安に繋がる原因である。

ところでうちの父親は無趣味で仕事の付き合いで使うゴルフ用品以外に何も娯楽的私物を買わない。が、一度ゲームなどをやらせるとたちどころにハマるのである。かつて『ドラゴンクエスト・あるくんです』という万歩計機能のついた『たまごっち』系統の育成ゲームがあったが、我が家でそれに一番ハマり攻略本まで買い求めたのは誰であろうすでに齢40を越えていた父親であった。当時僕は父親に訊いた。もう自分の買えばいいじゃん。父親は答えた。「俺はこういうのに手を出したら止まらなくなるから」どう見ても父親はすでに止まらなくなっていたが、そのとき僕はようやく父親が無趣味である理由を、いや、無趣味であろうとしている理由を察した。一度ハマると他のことを疎かにしてまで夢中になるのである。こうした性質を遺伝子レベルで引き継いでいることも、僕がギャンブルに触れてはならない大きな理由のひとつである。

先日もこんなことがあった。普段使う自動販売機に「数字が揃ったらもう一本プレゼント」的な機能が追加されたのに気づいた僕は、特に欲しくもないのに『いろはす』を買った。結果はハズレであった。僕は小銭を追加しもう一本『いろはす』を買った。またハズレであった。僕はさらに『いろはす』を買った。ハズレであった。そこでようやく気づいた。僕は何のために水を3本も買ってしまったのか。「当たりが出る」という可能性のみに翻弄されて、お金の無駄遣いのことや、実際に喉が渇いているかどうかや、3本も買ったペットボトルを持ち歩く労力などのことを完全に頭から除外していたのである。これには参った。ジュースが一本追加で貰えるからと言って何なのか。冷静に考えるとこの機能はあくまでオマケであることは明らか。僕はただ物珍しさと好奇心と当たりを当てるためだけに『いろはす』を3本も買ったアホである。

ギャンブルは己を律し節度を持って楽しまなければならない。僕のような周りどころか自分も見えなくなる人間が手を出してはいけない領域なのだ。僕のような奴は、ガシャポンをガシャガシャやって運だめしをして一喜一憂しているくらいのかわいいギャンブルがお似合いであるし幸せなのである。

おわり