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Medapani Blog

メダパニブログ

人は誰かになれる話

昨日、近い内にとある映画を観に行くつもりである旨を母親に話したところ、ため息をつかれた。悲壮と憐憫が入り混じっているようなため息だった。なんとも失礼なリアクションである。もしかして昨日が母の日であることを当の母親に指摘されるまでド忘れしていたから機嫌を悪くしているのかと思ったが、そういうことではなかった。母親は言った。「いい歳した男が映画を観に行くのにひとりなんて…」言わんとすることはわかるが、大変偏見に満ちた意見である。

僕はかつて"クリスマスにひとりで『ベイマックス』"という修羅道を踏破した男である。今さら映画をひとりで観に行くなど赤子の手を捻るより容易い行為。たとえ周囲がカップルだらけだろうがファミリーだらけだろうが何を何とも思わぬ。僕はただ、一介の観客として素晴らしい映像作品を堪能しに行くのみなのである。

そう主張しても母親は「だけど」と食いさがる。「あなたもう30前でしょ」意味がわからない。30前だからなんだというのか。「どうせ観るのってアニメ系でしょ」アニメだからなんだというのか。「30前の男がアニメ映画を観に行くという行為はおかしい」ひどい偏見である。このご時世、アニメにかような見方をする人がいるとは驚いた。僕は反論したが、母親の次の言葉を聞いて衝撃を受けた。

「幸せに溢れているであろう人たちにあなたがひとり混じっている姿を想像すると親として悲しくなってくる」

お、お母さん…!!
そんな風に思っていたなんて…
僕はなんと親不孝な三十路前実家寄生型非正規労働者なのだ…!!!

しかし、そう言われてみるとたしかに僕はかなり虚しい人として劇場の光景に溶け込んでいるに違いない。クリスマスベイマックス作戦以降、ある種悟りの境地に至ったのか、大して気にしたこともないし、正直これからも気にするつもりもないのだが、まあ事実として悲しい存在であることは疑いようがない。

が、おそらく母親が言いたかったホンシツはそういうことではないのである。僕も最近、弟や先輩が結婚や結婚式の準備をしている姿を見て「私は果たしてこのままでいいのだろうか…」と深夜消灯した部屋で頭を悩ませることがある。いや「いいのだろうか」ではない。明確に「よくない」のである。なぜよくないかといえば、僕が今の仕事について中途半端な姿勢を持っているからだと思う。たとえ非正規だろうがなんだろうが、仕事の価値というのは「誇りと自信を持っているか」どうかで決まると僕の先生が言っていた。僕もそう思う。で、僕は今でも誇りと自信を持っているだろうか。わからないのである。

収入等々はもちろん大事である。しかし、収入が少ないよりも「今の仕事に対して迷いがあり、今後のキャリアアップについても積極的ではありません」という感覚を持っている方が間違いなくヤバくて、誰からも認められないし、不安に思われる。自分が何者であるかを説明できない人間。僕はそれだと思う。

同僚には、今の仕事に誇りを持っていて、非正規だろうが何だろうが形態に構わず頑張っている人や、手に職を付けて他にフリーランスで仕事をしているが、それだけでは収入が少ないのでサブとして今の仕事もしているという人がたくさんいる。そういう人たちは、自分の仕事にアイデンティティを見出して「自分は〇〇です」と、自分が何者であるかを自信を持って断言できる。僕はそういう人たちが眩しくて羨ましくて仕方がない。僕の実情は非正規労働のフリーターか、よく言って契約社員でしかなく、拠り所にできることが何もない。

そんな僕が果たして本当の幸せを掴めるだろうか。いつの日か虚しさを感じさせぬ姿で一人で映画を観ることができるだろうか。

そんな悩みを母親に吐露すると、母親は「フリーターは何も考えず適当にフラフラしてる人のことで、まあ本当はもっと若い時に通過しておくべきだったけど、こんな風に悩んで仕事も一度始めれば真面目に続けられるあなたは自分をフリーターだと卑下することはないよ。自信を持ちなさい」と、気休めと色眼鏡があるのは分かりつつ優しい言葉をかけてくれたのである。僕の目に生気が蘇る。では、僕はフリーターでなければ一体何者なのでしょうかお母さん。すると母親は言った。


「うーん、アルバイター?」


変わらねえ!!!

おわり