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Medapani Blog

メダパニブログ

そっちで勝手にやってろよ

かなり捻くれたことを書くが、僕は芸能人でも著名人でもないくせに、無断で写真を撮られることに強く抵抗を覚えるものである。勝手にパシャパシャ写真を撮りまくるデリカシーのかけらもない人たちが、僕が写っている写真をこれまた何の考慮もせずにフェイスブックだとかにアップしているのを見かけると、苛立ちを抑えることができない。

 

特に腹が立つのが、職場だの何だのの飲み会やらイベントやらで当たり前のように撮られる写真であり、写された僕自身はかなり不快に思っているにも関わらず、その写真を用いて

 

「今日は日頃共に切磋琢磨している仲間たちで〇〇をしました!」

 

…みたいな、そういう問答無用で勝手に一括りにされてネットに大々的に公開されるのがたまらなくイラつくのである。単純にネットリテラシー的な問題もあるが、少し考えてみたところ、もっと卑屈な苛立ちが僕の中でくすぶっていることに気づいたので今日はそれを書きます。

 

僕は昔から日陰で闇を喰いながら飢えをしのぎ、陽だまりでワイキャイやっている連中(今で言うリア充)に呪詛の言葉を投げ続けてきた男である。そうした僕は、陽だまりの連中からは蔑ろにされる人生を送ってきたし、今でもそうである。教室でも職場でも、モブでありオマケであり、中心から外れた蚊帳の外の存在なのだ。陽だまりで楽しく戯れる彼らは僕のことを仲間だと思っているのか極めて懐疑的だし、僕としても彼らのことは一歩引いたところから冷めた目で見て「一緒にされたくない」と考えているフシがある。そんな関係であるというのに、都合のいいときだけ「仲間」の内に含められ写真に収められ「僕たちのグループはみんな仲良しでーす!」とか「ほーら、僕たちはこんなにステキな絆で結ばれているんだよ!」的な、そういう中心にいる連中どもの水増し要員として対外アピールに利用されることが、とんでもなく我慢ならないのであろうと、そう分析している次第である。

 

写真に限らず、定期飲み会だの誕生会だのスポーツ大会だの、そういうのをやってますアピールを外部に向けてやる連中は、中心のお前らが楽しいだけでそれ以外からは迷惑がられたり小馬鹿にされたりしていることに気づいていないのだろうか。そういうのは無理矢理やるもんじゃないだろ。みんながみんな飲み会好きだとかスポーツ好きだと思うなよ。何が飲めばお互いをより深く知れるだ。何がスポーツを通して絆を深めるだ。親しくもない奴に誕生日を祝ってほしくないわ。あんたたちのファッション絆に僕を巻き込むなよ。勝手にやって勝手に自分らに酔ってろよ。

 

あー我ながら協調性がないなあ。こんなことだから非正規労働者なんだろうなあ。

 

おわり