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必要以上に好意的な『ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影』の感想

※ネタバレあります

 

タートルズ』とは何か、知らない人のためにざっくりと説明すると「変な液体を浴びて人型に変質した4匹の亀たち(=タートルズ)がヒーローとして街の平和を守るぞ」というお話で、アメコミが原作。これまで何度かアニメ化や実写映画化されているが、今回鑑賞してきた『影(シャドウズ)』は、2014年に公開された実写映画版の続編に当たる。幼少期にアニメ版にどハマりしたせいか、僕はタートルズに漠然とした思い入れがあり、2014年公開の前作は4DXで観てかなりはしゃいだし、その後しばらくピザを食べまくって体重が大変なことになった。そんな僕が続編たる『影』を観に行くことはもはや常識であり必然。前作の予習はもちろんのこと、鑑賞後に食べるピザのお店までリサーチするという万全の態勢で鑑賞にのぞんだのが約3週間前のことだ。前置きが長くなったが、以下、必要以上に好意的な感想です。ちなみに鑑賞後のピザはなんか別に食べなくても良いかなって気分になったので食べませんでした。

 

 

○序盤あらすじ

ニューヨークを影から守る4人の兄弟がいる。レオナルド、ドナテロ、ラファエロミケランジェロ。偉大な芸術家の名を与えられた彼らは、忍者であるが人ではない。人の姿をした亀、タートルズである。

かつて悪漢シュレッダーが率いるフット団を退け街を守ったタートルズだが、その異形を大衆に明かすことはできず、相変わらず人々の目を避けながら暮らしていた。しかし、彼らは人間でいうと「ティーンエイジャー」に当たるお年頃。自分たちの活躍を知られることもなく、もし人間であったなら難なく満喫できるであろうスポーツ観戦やパレードを満足に楽しむこともできず、胸中には表に出せない不満をくすぶらせていた。

そんな中、脱獄を果たしたシュレッダーが、異次元からの侵略者・クランゲの協力を得て、ニューヨークを再び恐怖のどん底に叩き落そうと動き出した。新たに2匹の強力なミュータントを手駒に加え戦力を増強するシュレッダー。事態が悪化の一途を辿るその一方で、タートルズはドナテロが発見したある理論によって対立してしまう。それは、タートルズが人間になれるかもしれないという可能性だった…

 

 

個人的に感じた今作のテーマは「思春期」 。映像ではゴツいレスラーみたいな容姿のタートルズだが、中身は純情なティーンエイジャーで繊細なお年頃。街を救った手柄は別の人間に譲り、バスケの試合は天井裏からこっそりと観戦しなくてはならず、仮装パレードにギリギリ紛れ込むくらいしか人前に姿を見せることができない。そうした息苦しさを「忍者としての使命」として飲み込もうとする姿は、抑圧された思春期を生きる人間の少年少女と変わらない。人から認められたい。褒められたい。あれをしたい、これをしたい。友達はみんなやってる。テレビで大人気。それらをほとんど我慢せざるをえない4兄弟の境遇に共感と同情を禁じえない。

 

中盤、4兄弟は「人間になれる可能性を秘めた謎の液体」を巡って対立する。しかし「人間になるかどうか」という点のみでの対立ではないことが、兄弟ドラマとしての深みを生み出していた。具体的には、長男で責任感の強いレオナルドが、兄弟たちの動揺を防ぐために液体の存在を秘密にしようとして、それに喧嘩っ早いラファエロが反発するという展開。ラファエロの怒りは兄弟として信用されていなかったことに対しても強く燃やされており、前作に引き続き一番人間くさい彼の魅力が引き立っていた。対するレオナルドも長男でありリーダーであるとしても、中身はまだ未熟な若者。弟たちの個性に振り回されている状況を父親たるスプリンターに愚痴る姿は、彼が等身大のティーンエイジャーであり、ただの超然的な生命体でないことを感じさせてくれる。そのレオナルドは、やがて弟たちに「俺たちは兄弟だけどチームじゃない」と告げる。捉えようによってはネガティヴにも読めてしまうこの言葉の本当の意味は、ぜひ実際に作品を観て実感してほしい。

 

映像・アクション方面に関しては、敢えて言うまでもなくすばらしい。序盤のカーチェイスから中盤の空中戦、終盤のクランゲとの対決まで退屈とは無縁のラッシュが続く。特にクランゲの戦闘方法は奇抜で強敵感溢れており、観ていてハラハラさせられるだけでなく、楽しさにも満ちている。前作のシュレッダー戦以上の死闘は必見である。

 

そんな感じで『ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影』。アイデンティティや承認欲求、兄弟関係に悩むティーンエイジャーの亀たちが大活躍です。果たして彼らは街を救えるのか!? 宿敵シュレッダーとの対決は!? 人間になれるのなれないの!? すべてはその目で確認して欲しい。普通なんてつまらない。君も一緒に自由の女神の上で叫ぼう。

 

おわり